はましゅふにっき

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金ロー「未来のミライ」感想(2/2) くんちゃんはくんちゃんでいいよ

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というわけで、「未来のミライ」感想文のつづきです。これで終わります。

わたしが映画の感想文を分割するなんて初めてだぞ、このやろー。

前半書いてたら消耗しちゃって休憩挟みたくなったんだよー。

 

(前半はこっち。)

 

前と同じくネタバレあり、記事全体の筋道は考えず思いつくまま書くスタイルです。

すべて個人の感想です。

「未来のミライの全部が大好き!細田監督最高!」と思っている方はごめんなさいです。

 

一年前の作品なので、もうさんざん語りつくされているのでしょうが。

 

というわけで、好きに書く。

ちょこまかしたところは、だいたい前半で書いたので。

こっちではもうちょっと、お話全体にかかってくるような話をしたいのですが。

 

そもそも、なんで「未来のミライ」なんですかね。

語呂はいいけども。

これだとなんかこう、大きくなった妹と大冒険!みたいな誤解を与えて、

意図せぬ悪いギャップが生まれてた気がするんですけど。

 

言うて、そんな活躍したかぁ?って思っちゃう。

おおたが一番好きなタイムスリップパートのひいじいじエピソードには、大人ミライちゃんノータッチだし。

無い方がすっきりするってどうなのよ。

 

そもそも監督の息子が「夢で大人になった妹に会った」って話したことから想像を膨らませた物語…って記事があるので、

大人ミライちゃんが一番のキーパーソンなはずなんだけど。

いまいちキャラが立ってないのかな…?

おおたのお気に入りひいじいじはもちろん、擬人化ゆっこや、未来の自分にも負けている気がする。

 

ていうか、未来のくんちゃんと4歳のくんちゃんが同時に存在できるのはいいんですかね。

雛祭りのくだりで言ってたじゃん、同時には存在できないって。

あれはなんだ、あの家の、あの部屋限定の話だったんか?

あんなにわざとらしく、わざわざ説明台詞を入れたのに…?って思ってしまう。

これ、解釈の余地があるんですかね。

現実に近い(お父さん(他者)にも同時に見えてる世界)パートと、

まったくの空想(内面世界)パートの違い?とか考えてみたけど、結局よく分からん。

 

(同じく雛祭りのシーンでは、「なんでゆっこが人間の形なのか」もミライがわざわざ台詞で投げかけてたけど、

ゆっこ自身が「全然気にしてなかったわ~」て言って終わるし。

言われなきゃこっちも気にしなかったけど、むしろそう言われると気になるじゃないか。

なんでだよ。なんで尻尾が着脱式なのかも含めて教えてくれよ。)

 

そう。そうなんですよ。

未来のミライ、不思議パートをどう解釈したらいいのか決めかねるんです。

 

おおたの中で考えたのは、

 

①まったくの空想、夢(例:不思議の国のアリス)

②本来こちらの世界とは交わらない異世界(例:千と千尋)

③夢だけど夢じゃなかった(例:トトロ)

④単なるタイムスリップもの(例:時をかける少女)

 

うーん…。(キーボードの前で腕組み)

 

両親から見ても「知らぬ間にお雛様が片付けられてた事実」があるので、

「①まったくの夢」というのは無さそう。

くんちゃん一人じゃ、あの棚に届かないからね。

 

④もね…確かに時空は超えるんだけど。

細田さんの過去作だから「時かけ」を例にしたものの、タイムリープとタイムスリップは微妙に違う概念だし…。

大人ミライちゃん来訪、母幼少期、曾祖父青年期だけならここで落ち着けるんだけど。

あの擬人化ゆっこの庭園、温室、熱帯魚の群れ、さらにあの「東京駅」がな…。

単に時間軸のズレでは説明がつかない。

よく「未来の東京駅」って書かれてるけど、あれ、単純な近未来描写じゃないよね?

(あの駅の不思議な世界観、作り込みはめちゃくちゃ好きです。)

どちらかというと「異世界の東京駅」って感じ。

絵本タッチの遺失物係さんを、百歩譲ってAIホログラムかなんかだとしても、

さすがに「ひとりぼっちの国行きの地下新幹線」は未来にも存在しないでしょう。

あと「オニババのお母さん」も。

 

あの東京駅でも、ひとつ引っかかってる台詞があります。

遺失物カウンターに並んでる人たちを見て「子どもばっかり」ってくんちゃんがつぶやくところ。

「子どもばっかり」とは…?

みんなくんちゃんよりは年上の、くんちゃんに言われなければ「子ども」には見えない年齢層です。

十代かな?中高生かな?

みんな「自分自身」を探してるのか…?

 

未来のくんちゃんが居た根岸駅も気になる。

未来の根岸は、あんなに寂れた小さな駅舎だって言うのか…?

4歳くんちゃんと思春期くんちゃんが同時存在する異空間…?

 

となると「②本来こちらの世界とは交わらない異世界」に行ってた話?ってなるけど

いや、それだとダメだ、歴史的事実をふまえた母幼少期・曾祖父青年期を「異世界」と言うのは無理がある。

あれらはやはり、「過去」として分類したい。

 

となると結局、「③夢だけど夢じゃなかった」なのかなあ…。

トトロにも、夢だけじゃなくて現実だったんだよ!って描写があるからね。

傘をあげるかわりに、トトロに木の実をもらうとか。

それを植えたら芽が出るとかさ。(一晩で大木になるのは夢だったんだけど)

 

うーん、

「タイムスリップもの」×「異世界」=「夢だけど夢じゃなかった」

って塩梅…?

 

大人ミライちゃんが、樫の木のチカラを知り尽くして、自由に行き来してそうなのも気になったけど…んー。

そもそも家族の過去(と現在と未来)以外の、異世界にも樫の木が繋がってるというのはおかしいじゃん…

樫の木万能すぎるじゃん…。

ドラえもんのタイムマシンだって、タイムマシンの機能しかないよ…?

となると「東京駅」のシーンから何から、やはり単なる時間移動しか行われてないのか…?異世界はなかった…?

 

そういや樫の木についての説明「図書館のインデックスみたいに~」も、4歳児に分からせる気あんのか?って思ったな。

分かりにくいわ。

「アルバムに貼った写真みたいに」くらい言えんのか。

 

このとき自転車に乗れないお父さん、猫にいたずらされた燕のヒナを抱えるお母さん、

について、ミライちゃんがいちいち説明するのも野暮だと感じた。

ひいじいじの戦争パートと求婚パートではミライちゃんの副音声がオフになるから、

そのあたりも、おおたにひいじいじの記憶が美しく残った要因じゃないかと思う。

 

まあ、直後にやっぱりミライちゃんが説明しちゃうんだけど。

「あのときひいじいじが~しなかったら、ひいばあばが~しなければ、今の私たちにつながってなかった」って。

 

分かる。分かるよ。言いたいことも、やりたいことも、よーく分かる。

そういうちょっとした奇跡の重なりや、

顔も知らないご先祖様たちの長い長い歴史に思いをはせたこと、

おおただってある。

 

ただ、「細田脚本は説明台詞が多い。」とか「大事なことを全部台詞で言わせちゃう。」って指摘が多いのも、

よ~~く分かる。

 

ちなみにこの、東京駅から救出→樫の木のチカラ答え合わせシーンで、

ミライちゃん言うんですよ。

「お兄ちゃんのいる時間のカードを見つけなきゃ…帰れない!」って。

 

(このへんの映像はね、すごくきれい。

東京駅の飛翔描写も、樫の木に飛び込んだときの、あの細田さんっぽい画も。)

 

で、「帰れないかもしれない!」って不安をあおっておきながら、

さらーっと家族の歴史ツアーしたあと、自然と帰れてるんですよ。

 

え…?なんで不安煽ったん…?

たしかに終盤だし、今から「自分の時代カード探しの大冒険!」といかないのは分かるけど。

じゃぁなんで、あそこでドキドキさせたのよ…?

 

そもそもなんで、あの樫の木が家族の未来含む歴史カードの納め場所なんだ?とか

時間移動の発動条件は?とか

父系の家族の歴史はどうした?とか

思い切ってあきらかに顔も分からんような先祖や子孫がチラ見えするパートがあってもいいんじゃないか?とか

まぁいろいろ疑問がわいたりするけど、樫の木の不思議なチカラまわりはこのへんにする。

 

で、タイトルにも書いている「くんちゃんはくんちゃんでいいよ」に話を移します。

そうなんです。

くんちゃんはくんちゃんでいいと思います。

 

何を言ってるか分からないかもしれませんね。

終盤、ひとつの盛り上がりとして「くんちゃんは…くんちゃんはミライちゃんのお兄ちゃん!」と叫ぶ場面があるのです。

たぶん名シーンです。全体としてはピークの盛り上げ。

 

これまで「ミライちゃん好きくない!」だの「くんちゃん、お兄ちゃんじゃないの!」だの我儘を言っていた4歳児が、

ビシッと妹を救出して、自分が兄であるという自覚を持つ。

盛り上がってます。たしかに、必要な自覚と成長ではあります。

 

でももう、この、大盛り上がりポイントが自分の感性と一致しなかった。

 

この直前に、「自分で自分自身を証明する必要があります」って言われて、

「くんちゃんは、お母さんの子供。くんちゃんは、お父さんの子供」って答えるんです。

 

そしたら「お母さんって、誰?」「誰のこと?」って言われて追い詰められる。

 

その後、ようやく、「くんちゃんはミライちゃんのお兄ちゃん」って叫びが出るんですけど。

 

『お母さん』という表現には「誰それ?」って言うのに、

『お兄ちゃん』っていう肩書はアリなの?

それがくんちゃんの「自分自身の証明」になっていいの?

「くんちゃんはくんちゃん」でいいじゃん。

お兄ちゃんである前に、くんちゃんじゃん。

 

妹が来てからさんざんないがしろにされていたくんちゃんを見続けたから、

どうしてもそう思ってしまう。

 

「お兄ちゃん」にならないと家族に受け入れてもらえないの?って思っちゃう。

 

もちろん、「お兄ちゃんとしての一面」を受け入れることは、くんちゃんにとって必要だ。

両親だって助かるさ。

でもそんなの「一面」にすぎないよ、くんちゃんはお兄ちゃんじゃなくてもくんちゃんだよ?

 

そもそも妹が闇の新幹線に吸い込まれそうになるのだって、あんなに必死に阻止すると思わなかったよ。

「よっしゃ、これで邪魔ものはいなくなるぜ~!」くらい、ちょっとは思ってもいいだよ!?

 

くんちゃんは…くんちゃんだよ…。

 

 

 

ではね |ω°)ノ