横浜女が滋賀で主婦する

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金ロー「火垂るの墓」感想 忘れものを、届けにきました

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ジブリクラシックとしてネタバレも何もないと思うのですが、以下物語の結末に触れながら感想を書いています。

原作小説は未読です。

 

ジブリ好きを公言しているおおたですが、火垂るの墓は初めて観ました。

ここ最近の新作を除いて、トトロもラピュタも、小さいころから刷り込まれていた物なので

クラシック作品をこんなに新鮮な気持ちで見たのもすごく贅沢な気がする。

よく思いませんか、ラピュタをもう一度、記憶なくして見てみたいって。

もちろんラピュタは、セリフを覚えるほど何度見ていても、楽しいんですけどね。

 

で、まあ、火垂るは避け続けてきたんですけど。

 

まわりにそう話したら、

「小学校の授業で強制的に見せられたけど、もっかい見たいとは思わないなあ」なんて言う友人がちらほら。

(おおたの学校はそういうの無かったなあ。)

 

かぐや姫の物語について熱く語っても「見たことない~」と言われるだけなのに

「一回は見たことある」人が多かったし、

「空襲の後お母さんに会いに行くシーンがつらい。親戚のおばさんにお母さんの着物を売られるシーンもつらい。」とか細かいエピソードまで覚えてる人もいて、

火垂るの墓は(人気、というのとは違うだろうけど)やはり偉大な作品だなと再認識。

 

でね、金ローでやるって言うからさ。

ずーっと迷ってたの。見ようか見まいか。

まぁ見たくないなら見なくたっていいんだけどさ。

このタイミングを逃したら、きっとわたし一生見ないだろうなとか。

うじうじと。

 

なんで「かぐや姫」か「ぽんぽこ」じゃないんだよと思いながらも。

高畑勲さんの追悼ミニ番組も含めて放送っていうからとりあえず録画して。

 

で、翌日、つまり今日、とりあえず追悼番組部分だけは見ようかなと。

冒頭5分でしたね。

高畑さんの過去インタビューとか。見て。

 

で、まあ、始まるじゃん、本編。

とりあえずちょっと見るかって。無理だったら途中でやめよって。

 

で、清太が駅にいるあのシーン。

駅員(清掃員かな?)の様子にドン引きしてああやっぱ見るのやめようかなと思ったところで。

 

(こればかりは平和な時代にいる自分とのギャップとしか言いようがない、と思ったけど、

今だってただの駅員がホームレスに水や食べ物を与え今後の暮らしの世話をするかと言ったらしないよなと気付く。)

 

清太の懐にあったドロップの缶を、駅員(仮)がぽーんと投げるでしょ。

外の草むらに落ちて、蓋が空いて、中身が出てくる。

 

え。

中身はまさか、節子の遺骨…?

 

と背筋が冷えたところで、あらわれる節子(幽霊)。

いっぱいの蛍と、節子。

 

節子(幽霊)が、倒れた清太(肉体)に気づいて駆け寄ろうとしたら、肩に手を置かれて。

なぁんだ、節子(幽霊)の隣に来てたのねお兄ちゃん(幽霊)。

 

…というこの一連のシーンが、あまりにもきれいだったので。

これは観るしかあるまいと。

 

この時点で泣いていた。

ちなみにこのあとおおたは、すべてを見終わってから、またこのシーンだけ見返してぼろぼろ泣くことになります。

(逆に言うと、泣いたのはこのシーンだけだなあ)

 

それにしても、なんというかその、

「痛ましい」「見ていられないような」描写が多いです。

 

うわああん誰それが死んだよおお!とか

おうちが燃えたー!とか泣き叫ぶシーンはないし。

 

朝ドラにありがちな、軍国主義にそまりきった志願兵とか

反対に「お国のためなんて馬鹿馬鹿しい!生きてなんぼだ!」とか言い出す人もいない。

 

監督は「反戦映画に思われるのは仕方ないけど、反戦映画として作ったつもりはないよ」とおっしゃっていたことがあるらしいけど

確かにそうかなもなぁと思う。

 

そしてよく言われる、「イビられたからって親戚の家を出た清太がバカすぎる。全部自業自得。」というのも、

確かになぁと。

14歳にしては(いや14歳だからかもしれないけど)愛想がないというか。

やっぱり人間、社会で生きるために必要なものは愛嬌だなと思う。

 

おばさんは遠回しな嫌味だけじゃなく、

はっきりと「お国のために働いているうちの家族と、家でブラブラしてるあんたたちのご飯に差が出るのは当然。あんたの年なら隣組のなんたら活動に参加したらいいのに。」と言っている。

言ってくれている、とも言う。

それでも清太は逃げるしかしなかった。

(もちろん、家事や外での労働に素直に参加すればおばさんが優しくなったかはあやしいけど。今よりはましだろ。)

 

サバイバルを始めてからの、節子の痛ましい姿が本当につらい。

前からかゆがっていた湿疹は悪化、

可愛らしいおかっぱはボサボサ、

光のない虚ろな目。

 

やめて…。もうやめて…。

 

途中、近所の子供たちが清太たちの「家」に通りがかって

きたねーこんなとこで暮らしてんのかよ、とか

こんなん食ってんのかよひっでー、とか

言うのもつらい。

 

わたしが心のどこかで

「まー戦時下はみんな大変だったんじゃん?」と片付けようとしても

「あ、やっぱ二人の暮らしは異常なのか」と修正される。

 

もちろん、『戦時下はみんな大変』も間違いはないはずですが。

なんだろな、他にもうちょっとマシな生き様(おばさんに頭を下げて家に置いてもらうとかね)もあるだろうに、

あえて二人が酷い生活をしてるんだな、と知らされるというか。

 

そして「見たことないけどなんとなく知ってる」の範囲に入ってなくて驚いたのが

節子も清太も、終戦後に死んでるってこと。

 

食糧事情なんかはそうすぐに変わらないだろうとはいえ、

空襲におびえながら死んだわけじゃない。

 

久しぶりにレコード聴こう~とか盛り上がっている人の裏で

節子が骨になっていく。

 

清太はもちろん、妹を守ることを心の支えというか、使命にしていたところがあるから

節子を失ったのは相当だろうけど

さらに戦争に負けたことを知って、どこかで希望にしていただろう、海軍にいた父親の死も察してもう絶望。

 

戦争ものって、なんだかんだ、失ったものは大きくても

終戦後にはまた希望がある!みたいににおわすことが多いじゃないですか。

玉音放送聞いてみんなが神妙な顔する中で、一人二人は「よっしゃもう爆弾ふってこないぞ!めいっぱい好きなことして生きるぞ~!」って言い出す、みたいな。

(もちろんここまで簡単でストレートな描写じゃないけども)

 

でも火垂るの墓は、そんな救いはない。

 

もちろんさっき書いたように、節子との対比に

久しぶりにレコード聴いちゃうぞうふふ、っておしゃれなワンピース着てる女の子たちが映されたりするんですけど。

 

清太と節子には、なんの救いもない。

 

で、さいごに幽霊になった二人が山から見下ろすのは、

蛍の光なんて要らない、今の神戸の街の夜景。

 

ぞっとしません?

 

おまえ達の今の暮らしはな、こういう過去の上に立ってるんだぞ、と

言われてるような気がして。

 

いや素直に(?)見れば、

ああ平和になって街が発展してよかったよね~ってことでいいでしょう。

 

でもね、録画見終わってから、ブログ書くにあたってwiki見てたんですよ。

 

そしたら、キャッチコピーも書いてあって。

火垂る単独では「4歳と14歳で、生きようと思った」なの。

これはね、なんとなく知ってた。金ローの予告でも確か使っていたし。

 

でも、もう一つコピーがあったの。

同時上映だったトトロとの共通キャッチコピーが

「忘れものを、届けにきました」

 

ぞわっとしました。

まさにラストシーンで、おおたが思ったことそのまま。

 

知らないまま、無かったことみたいにしてのうのうと暮らしているわたしたちに、

どん!と名もない誰かたちの痛みを突きつけてくる。

そんなおそろしさがある。 

つらい。

 

(トトロのコピーとして「忘れものを~」と言われたら、

幼少期の楽しい思い出にふれるような、懐かしくてほっとするような、そんな感じなんだけど。)

 

それでね、冒頭に戻る。

 

もうあまりに救いがなさすぎてつらいから

最初に「きれいだな」と思ったあのシーンだけ、あのシーンだけ上手に見返した。

 

蛍の光の中で、二人が再会するシーン。

きっともう、お腹は空かないし、体もかゆくならない。

お兄ちゃんは他人のものを盗みに行く必要もないし、そのあいだ節子が一人でさみしい思いをすることもない。

 

最初に見たときは気づかなかったのですが、

このシーンで幽霊清太が幽霊節子に渡すドロップの缶、中身が詰まった音がするんですよね。

 

あーよかった。

よかったよかった。

 

一通り見て、冒頭の二人が幽霊になって再会したところだけ見て。

そうかそうか、清太と節子は阪急電車に乗ってあの世へ行くんだね、と。

 

ん?

 

wiki見たら違った。

(もちろんwikiを見なくても、冷静に思い返せば確かにそういう構造になっていて、

これは決して「深読み」や「都市伝説」だとは切り捨てられない。)

 

阪急電車はあの世へ行かない。

 

幽霊になって電車に乗った二人が、窓から空襲を眺める姿が描かれた後

気づくと現実(というか過去)のシーンになってるんだよね。

 

で、ところどころ、幽霊の二人が過去の自分たちを見ている描写があって。

(幽霊になってもなお、耳をふさいだり、悔しそうな顔をしていたり、それがまたこちらもつらい。)

 

最後は山から現代の神戸を見下ろす。

 

おそらくこのあと二人は電車に乗って。

過去の自分たちを見て。

また幽霊になって再会した二人は電車に乗っ、無限ループ?

 

 

わたしが「せめて二人が再会して、仲良くあの世へ行けるなら」と

涙しながらわざわざ見返したあのシーンも。

 

地獄のはじまりかよ。

 

まぁ無限ループかまでは、正直確信が持てないけど。

 

無限ループ(死ぬ→過去の自分見に行く→見られてた側死ぬ→過去の自分見に行く→見られてた側死ぬ...)を繰り返すうちにまわりの景色は発展してた、のか

回想ついでに一度は過去を振り返りに行ったけど、その後ループはせずにずーっと山の上からただただ街を見てた、のか。

そこまでは映画じゃ分からない。よね?

 

まぁ成仏してたら、ああやって神戸のビル群を見ることは無いというのは確かかなあ。

 

つらいなあ。

 

つらいついでに、少しだけライトな感想を言ってみると

 

中盤の大事なシーン、大量の蛍とあんな接近したら、

「うわ虫!こわ!きも!」としか思えないなあと思って見てました。

蛍は遠目で見たい。

 

そして節子たちのことも、できれば遠目に、できれば見ないようにしたい、と

思ってしまうものではないですか。

 

*ここから5/21追記*

 

しいたけさん こと wattoさん が、清太はちゃんと救われている、という解釈を教えてくださり嬉しかったので、

追記でご紹介させていただきます。

 

www.watto.nagoya

 

wattoさんのエントリーを読むと、いつも少し賢く(なった気に)なれます。

 

*ここまで5/21追記*

 

 

 

ではね |ω°)ノ

 

 

高畑勲さんのご冥福をお祈りします。

 

「せんぐり いのちが よみがえる」

その一部になられたのだなと。