はましゅふにっき

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映画「ひろしま」感想 NHKドキュメンタリー

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先日の、Eテレ深夜放送を録画視聴。

その前に放送されていたドキュメンタリーも見てました。

 

本当は、

このツイートだけで終わりにするつもりだったのですが。

 

ふとした瞬間に映画のことを思い出してしまうことが何度もあり、

どうにも自分の中の消化が終わっていないように思うので、ここに吐き出すことにします。

 

いつもの感想文通り、以下、未視聴の方には不親切な部分があるかと思います。

ご了承いただける方のみ。

 

1953年の映画のため、「公式サイト」と言えるものが分からなかったのですが、

いくつかご参考になりそうなURLは貼っておきます。

 

ひろしま - Wikipedia

NHKドキュメンタリー - 映画「ひろしま」<スタンダードサイズ>

映画「ひろしま」奇跡への情熱-facebook

 

(NHKの公式サイトです。5分程度にまとめられたドキュメンタリーを見ることができます。)

www.nhk.or.jp

 

感想

 

まず、わたしが前述したドキュメントや映画本編見ようと思ったのは、

間違いなく、この世界の片隅にの影響です。

 

「戦争モノ」は、今まであまり見てきませんでした。

きっと悲しいし、痛いし、怖いものを、避けたかったからです。

 

『片隅』の最後の方に、主人公が「何も考えん、ぼーっとしたうちのまま死にたかったなあ」と泣くシーンがあります。

なんだか、そういうことなのかなと、思っています。 

この台詞については色々な解釈があるとしても、

わたしはアラサーまで生きてきて、ようやく、

ああこの世は、ぼーっとしたまま生きていけはしないんだと、分かったのかもしれないです。

 

そして、本編より前に放送された、映画についてのドキュメンタリーですが。

「忘れられた"ひろしま" 8万8千人が演じた"あの日"」というタイトルがつけられていました。

 

映画『ひろしま』は、試写後、当時予定されていた映画配給会社に「あまりに反米的である」と拒否され、ほとんど世に出ることはなかったそうです。

それが最近になって再評価され、各地で上映活動が行われている…と番組で紹介されていました。

 

先ほども書いた通り、1953年の映画です。

53年に完成するためには、もちろんそれより前に製作が行われていたわけで、あまりの早さに驚きます。

脚本は、被爆した小学生以上の児童・生徒たちが書いた作文を集め出版された「原爆の子」をもとに作られ、被爆者を含む8万8千人の広島市民が撮影に参加。

原爆投下直後のシーンの衣装や小道具は、当時町の人たちが身につけていたもの(もちろん、中には『遺品』もある)が、数多く寄せられたそうです。

 

カラーじゃなくて、白黒映画でよかった…と思ってしまうわたしは、やはり臆病なままですが。

それだけ、投下直後のシーンは「再現」に誠実です。

いえ、本編すべて、「実際を映し出すこと、知ってもらうこと」に誠実だと感じました。

 

映画の構成は、(当時の)現代パートから始まり、8月6日の惨状、そしてまた現代パートに戻る流れになっています。

 

現代パートでは、被爆者の後遺症、生活の困窮、差別について語られます。

冒頭は教室のシーンが多く、少し説教くさい、勉強くさいかな?とも感じましたが、

被爆しなかった同級生から「ピカドン組」と陰口を叩かれている生徒たちが集まって、

「広島と長崎に原子爆弾が落とされ、多くの非武装の市民たちがモルモットにされたのは、日本人が有色人種だからに他ならない」と書かれた本を読むシーンには、

あまりの直球に息がとまりました。

(著者がドイツ人、というのは分かったけれど、本のタイトルが分からなかった。

wikiにも記載はないけど、この映画の作り方からして、実在の本だろうと思う。)

映画配給会社は、ここを含めいくつかのシーンのカットを求めたけれど、

制作側が応じなかったため、配給の交渉決裂に至ったそうです。

 

そして、8月6日の再現へ。

原爆投下直前の様子から描かれます。

前夜からの空襲警報が解除され、「やっぱり、敵も広島はやりませんな!」と喜ぶ市民。

朝から建物疎開の手伝いに動員される生徒たち。

 

この「建物疎開の学徒動員中に被爆」というのは、今まで文字で読んでいたことはありましたが、

映像で見てやっとわかった部分があります。

ピンと来ないじゃないですか、たいした力もなさそうな子供たちが、建物を壊す手伝いをしてたと言われても。

壊した建物から出た材木や、瓦を片付ける様子を見て、文字で読むよりずっと理解ができました。

まさに建物を壊していたわけだから、なんの遮蔽物もない場所で被爆してしまったことも。

(ただ、屋内に居た人は倒壊に巻き込まれて…というシーンが当然ある。)

 

一緒に参加していた先生が飛行機の音を聞いて、

「Bよ。Bじゃない?」と言うのなんかも、

なるほど当時の人は「B」と呼ぶのか…と思ったりして。

 

もうわたしたちには、分からないんですよね。

被爆後の惨劇を再現…というのが最も取り上げられるのも自然なことなのですが、

それ以外の細かいところも、当時のスピード感で作ったからこそ、記録されたことが多いと感じます。

 

また、実際にその時を生きた人が作っているんだ…と思うだけで、わたしたちの見る姿勢も変わりませんか。

例えば今、戦争のドラマがどんなに丁寧に作られて、どんなに演技が上手な俳優さんたちが演じても、

合間のCMで同じ俳優さんが歌って踊ったりしてたら、引き戻されてしまうじゃないですか。

もちろん、本作にも当時の売れっ子さんが出演しているそうですが、幸い平成生まれにはピンと来ない方でして…。

(広島出身で宝塚女優だった月丘夢路さんは、ノーギャラでご出演されたそう。存じ上げなかったけれど、たいへんな美人。)

 

そして、何よりここを評価したいというか、今の作り手さんたちにも言いたいことなのですが、

いわゆる「お涙頂戴演出」はありません。

wikiには

同じ原作を元にした作品として新藤兼人監督・脚本の『原爆の子』がある。当初、日教組と新藤の協力で映画制作が検討されたが、新藤の脚本は原作をドラマ風にかきかえてしまっていて原爆の真実の姿が伝わらないという理由で、日教組が反発。結局両者は決裂し別々に映画を制作した[2]。

 という記載もあります。

もうひとつの映画の方は見たことが無いのですが、この通りです。

事実を再現しようと努めるだけで、十分でした。

 

実際に、最後まで見ても涙はでなかったです。

かわりに、じっとりと汗をかく映画です。

 

原爆投下直後の混乱の中、父親がさんざん探し回った息子を避難所でようやく見つけるがすでに冷たくなっていた…

というシーンがあるのですが、そこも拍子抜けするくらい冷静です。

「間に合わなかったな。」と遺体の頬を撫でるだけ。

隣に居た息子の同級生と「あのときは何処に居たの?」「君のおうちは?…ああ、あの辺も全部焼けたね。」「世話になったね。君もどうか元気でね。」といくつか言葉を交わして、「これをおんぶするのも久しぶりだ。」と息子を背負って帰る。

あまりにも身近に死があふれると、人は案外泣かないのかしら…と想像させます。

 

本当に、8時15分以降のシーンは、死にあふれています。

よくもここまで…と。

当時を知る人が、当時を知る物が、実際に作っているんです。

どんなにリアルなCGを使っても、もはやこの生々しさは出せないでしょう。

ドキュメンタリーでは撮影当時中学生?だった方がお話されていましたが、

「あまりにリアルな再現に吐きそうになりながら、いや、実際に吐いたかもしれない、そうやって撮影に参加した。」とおっしゃっていました。

「ただ、どんなに再現しても。『人間ってこんな風になるんだ』と思ったあの姿は…映画では見せられませんよね。」とも。

 

この方は、先ほど書いた学徒動員の女学生の一人として撮影に参加しています。

映画の中では女学生たちが、引率の先生(月丘夢路)と息も絶え絶えに川を目指します。

ポスターや、ネット記事のサムネイルにもなっているシーンです。

 

これまた、「多くの人が川で絶命した」というのは知っていても、こうして見せられると頭がくらくらするものです。

川へ行く途中で力尽きた誰かに、後ろの誰かが躓き、また後ろが躓き、団子になって死んでいく様子も。

 

川の中には男の子たちのグループもあり、先生に「さぁ校歌を歌おう!」を促されます。

確かに元気の出そうな曲調です。気力がもちそうです。

(原作が「作文集」だから、きっとこれも「あの日、本当にあったこと」の一つなのだと思う。)

 

先ほどの女学生のグループは、か細い声で「君が代」を歌っています。

ここが一番怖かった。

あまりに弱弱しい君が代、歌の途中で少しずつ流され、沈み、

最後まで歌いきる前に一人残らずいなくなる彼女たち。

ドキュメンタリーでも主演として多くとりあげられた女優さんのシーンだからでしょうか、

わたしが女だから彼女たちに感情移入しやすいのでしょうか、

とにかく印象深いシーンです。

みんな流される、というのがもう…

「主演女優」は生き残るものだと思うじゃないですか…。

現代パートもあるし、さきほどの息子を探し回る父親パートもあるし、誰かひとりが主役と言い切れない映画ではありますが…。

 

上層部の様子も、もはや言葉の出ないシーンのひとつです。

原爆投下直後の青空会議で「市民には、新型爆弾にも防空壕が有効であると伝えよう」と適当なことを言っていたり、

建物なんかひとつも残っていない炊き出し所の横で「気力を削ぐ敵の攻撃に負けてはいけない、市民はすぐ職場に復帰するように。」とアナウンスしたり、

「原子爆弾に間違いない、もう戦争を続けるのは無理。」と意見する学者に「それでも天皇の赤子か。まだ日本人にはバレてないから原爆のことは発表するな、不利になる。」という軍の偉い人がいたり。

偉い人たちがまずい情報を隠匿するとか、そういうの、今でもあるよな…と思います。

原発の時も、後手後手の印象しかなかったし。

 

さて、映画は、原爆投下直後の混乱から地続きに、偉い人たちの絶句会議シーンをはさみつつ、終戦を迎え、多くの被爆患者のいる病院のシーンに。

「広島では今後70年、草木も生えないだろう」という発表に絶望する中、試しに庭に種をまきます。

患者同士で「芽がでるかな~」と話しても「芽なんか出るわけねえ!」とやさぐれていた男が、

やっぱり気になってみんなが居ない隙に庭の様子を見に行き、

芽ばえの第一発見者になって「芽が出たぞ!」と大喜びでみんなを呼ぶところ、お茶目さもありほっとしました。

ドキュメンタリーでもここは少し取り上げられており、

わたしはなんとなく「なるほど、絶望から希望の良いシーンだ、これがラストなのかな?」と勝手に想像していたのですが、

まったくそんなことはありませんでした。

その後も、火傷なども少なく一見助かったように見える人たちまで、髪は抜けるわ血を吐くわ、横たわるしかできなくなり、後遺症に苦しみながら死んでいく様子が描かれます。

 

原爆孤児たちも出てきます。

先輩が新入りの小さな子に「いいか、栗が半分、『ハングリー』だ!そしたら『ハロー』が食べものくれるぞ。」と教えている。

まだ映画は終わりません。

 

現代パートに戻っても、みんなで集まってひたすら『お題目』を唱えるようになってしまった人たちとか、

軽いノリで「俺が嫁にして食わせてやるよ」と言われて

「わたしたちはみんな、結婚なんてできない。諦めてるけど、やっぱり憧れを思い出して苦しんだりしてる。だから冗談でもそんなこと言わないで!」と怒る女性とか、苦しみは続いています。

しかもそうやって怒られて「いや俺は本気だ!ピカの後遺症がなんだ!」と押し切らず、

「ごめん、もう言わない。」と折れる男。

 

映画に出てきた、原爆で亡くなった人の頭蓋骨をお土産に売っていたというのは本当なんでしょうか…

まさか戦後に、あまりに悪趣味だと思うのですが…売る方も、買う方も…。

 

最後は現代パートで、原爆で両親を亡くした青年が、

学校を辞めてパチンコしたり、夜キャバレーで働いたり、冗談半分で嫁にしてやると言って怒られたりとふらふらし、

ようやく再就職した工場も「大砲を作り出したから」と辞めてしまいます。

彼が「また同じことが起こるんじゃないか?」と語り、ラストシーンに。

 

平和の鐘が響く中、象徴である原爆ドームの方へ、広島中の人が歩くシーンです。

当初は、物語の中心となっていた生徒たちだけの予定だったそうですが、

何か参加できることはないか、という市民の声を受け、大勢の大行進になったそう。

とにかく、大変な人数です。

鐘の中を群衆が歩いている、数の迫力。

 

いやすごかった、終わりだ終わり、と油断していました。

 

現代パートだったはずの背景はいつのまにか8月6日の焼け野原にかわり、

平和を祈る鐘も気づくと鼓動のような太鼓の音と、哀し気なコーラスにかわります。

そしてあの日倒れた人たちが立ち上がり、"こちら"に向かって歩いてくるんです。

川に沈んだ女の子たちはじめ、見覚えある人物を含んだ大勢が、傷ついた姿のままで。

でもみんな、カメラ目線で迫ってくるわけじゃないんですよね。

無表情に、遠くを見てるんです。わたしたちよりも、向こうを見てる。

そして歩き続けて、カメラを通り過ぎる。

彼らが通り過ぎた後、カメラは背中を追いかけません。

次々と歩いてくる人たちが向かってきては、通り過ぎる様子だけ映し続けます。

 

そして、ようやく「終」の文字。

亡者たちのアンコールは、予想外で、本当に、おそろしかったです。

ホラー的な怖さとも、また少し違うのですが。

 

wikiを見ると、音楽は伊福部昭だそうです。

翌年に携わった「ゴジラ」では、一部本作の音楽を転用しているらしい。

 

よく出来た映画です。再評価されてるのが分かる。

惨状の再現について言われがちだと思うけど、映画全体の完成度が高い。

今は平和になってよかったね~というボケた落ちはつけず、

本当に平和なのか?もう戦争はないのか?世の中はたちまちあの日を繰り返すのではないか?という訴えで終わる。

 

アメリカでの配信を決めた会社の方(アメリカ人)が、ドキュメンタリーで語っていました。

「(米国内で、原爆使用の決断を支持しているか、いないかに関わらず)

その決断がもたらした結果を、すべてのアメリカ人が知るべきだ」と。

 

もたらす結果を知るべきである、という言葉は、

「原爆」と「アメリカ人」の部分をかえても、すべてのことに、言えると思うのです。

 

映画がほぼお蔵入り状態となって、当時無念にかられた方が大勢いたと思います。

でも、ここに、映画を観た人間が一人増えました。

 

(NHKの公式サイトです。5分程度にまとめられたドキュメンタリーを見ることができます。)

www.nhk.or.jp

 

ではね |ノ